志朗ニュース

2011年3月8日チョンブリ・ムエタイスタジアムスック・プンパンムアン第4試合

12-1

2011年3月8日チョンブリ・ムエタイスタジアムスック・プンパンムアン第4試合

52kg契約

シロー・96ピーナン(松本志朗)
VS
タウィー・ウォールンタウィー (結果:志朗判定勝利)

この日、志朗はバンコクから車で東へ2時間の距離、チョンブリ市街地に新設されたチョンブリ・ムエタイスタジアムで闘う事に。
相手は、前々回(12月8日)にKO勝ちを収めているタウィー・ウォールンタウィーだ。
その時タウィーは前半の動きは良かったものの、後半にスタミナ切れを起こし大失速。4ラウンドに志朗の絶妙な前蹴りを溝内に食らい、リング上をのたうちまわった…
実はタウィーには50戦もの戦績があったが、それは幼年期から積み重ねたもので、18歳の今になるまでに、2.3年ムエタイをやめていた時期があったという。そして復帰戦が前回の志朗との対戦だったのだ。
相手が日本人だから圧勝できると思っていたのか?それとも幼年期からのプライドを崩された事が、よっぽど悔しかったのか…
この志朗からの敗北から5日後には「場所はどこでもかまわない、あの日本人と是非とも再戦させてほしい。」と96ピーナンジム陣営に申し出があった。
志朗の後楽園大会参戦やルンピニーでの試合もあったので、タウィーが熱望する再戦もこの時期になってしまったが、あれから随分時間も経ち、調整にもかなり時間をかけてきたと思われる。 志朗も油断はしていなかった。
初回の一発目は志朗からハイキックを放った。これは当てるためではなく、相手を威嚇するためと思われるが、相手も経験があるので、このくらいの事では怯まないだろう。
そのあとすぐにタウィーの鋭いローキックが飛んでくる。ムエタイ選手には珍しく踏み込んで奥足を蹴ってくるローの連打だ。志朗は初回からこのローキックを食らっていたが「ローはカットしておけ!!」と、すかさずセコンドから指示が飛ぶ。
リング上では緊張や興奮で肉体の痛みは感じないことが多く、特に初回は相手の攻撃をカットする動作すら面倒になる事もあるかもしれないが、ローの蓄積は後半になって確実に動きを悪くるす原因になる。
そんな当たり前の事も分からなくなるほど激しい攻防だった。
2ラウンドになりタウィーはどんどん距離を詰めてきた。それも首相撲に持ち込む訳ではなく、パンチ・肘打ちの距離で肉弾戦を挑んできた。
両者の一発一発が相打ちの形で激しく交差!!
ここでタウィーの左フックが志朗のこめかみに入り、志朗の動きが一瞬止まった。効いてしまったのか?
試合後に志朗は「ハッと気がついたらリングの上で試合をしていた。」と、食らった瞬間の事を語っていたが、一瞬記憶が飛んでしまったようだ。
そんな2ラウンド間のピンチを乗り越え、3ラウンド目には志朗の反撃が始まった。
前回の対戦時と同様にミドルに徹底した。タウィーも疲れてきたか、パンチは狙ってこなかったが、奥足へのしつこいローで反撃してくる。志朗はこのラウンドを踏ん張った事で、ギャンブル席も志朗の味方に付けることができた。
あとは、志朗は得意の組んで倒す展開に持ち込めれば、こっちのものだ。
志朗は4ラウンド5ラウンド、上手く自分の型に嵌めることができた。最終に散々差をつけたところで試合終了。前半に危険な場面も多かったが、結果的に圧勝することができた。
さて、試合後にベルト授与式…実はこの試合は新設されたばかりの、このスタジアムの王座決定戦だったのだ。志朗の腰に巻かれたのは、ルンピニーのベルト?まだスタジアムも出来上がったばかりで同スタジアムオリジナルのベルト製作も間々ならぬ時期だったのだろう。有合せでルンピニーのベルトが使われていたが、志朗はいつしか、この“本物のベルト”を巻くことができるか。
(シンラパ・ムエタイ)

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